ご挨拶

21世紀におけるユネスコの役割 松浦晃一郎 UNESCO事務局長

1 国際紛争の防止と解決

 国連は第1次、第2次世界大戦という人類にとって大変不幸な経験を踏まえ、大規模な戦争や国際紛争を未然に防ぐことと、発生時には早期に解決する目的で設立されました。しかし世界的な規模の大戦こそないが、いまも国際的な紛争、戦争、さらには内乱は残念ながら相次いでおり、これらの対策に追われているのが現状です。UNESCO憲章には他人につき無知であることが戦争につながるという言葉もありますが、中長期的な見地からは憲章冒頭の「人の心に平和のとりでを築く」という考え方が21世紀に入ってますます必要とされていると私は思っております。
 そのためにも一番重要なのが教育です。UNESCOは相手国の歴史や関係について、子どもの段階からそれを正確に教科書に反映させるということで、ポーランドとドイツとの教科書の改訂に成功しました。一方、お互いに相手を憎めということを堂々と教えているパレスチナとイスラエルの教科書の改訂問題にも取り組んでいます。他の国に対して偏見を持つような教育をしない、ということが非常に重要になっているからです。
 世界には7〜8つの文明があると言われていますが、それら文明間の対話のみならず、異なる文化間、あるいは同じ文化間における対話を強化していかなければなりません。日本、中国、韓国、北朝鮮、モンゴルの東アジア5カ国間の対話も、いろいろなレベルでしっかりしなければならないと私は考えています。日本ユネスコ協会連盟でもこれらの国々との交流を深めているのは、非常に結構なことだと思っております。

2 貧困の除去

 世界の人口61億人のうち12億人が1日1ドル以下の生活で、24億人が1日2ドル以下の生活をしていると言います。つまり世界の人口の4割は極度の貧困状態にある。また、清潔な飲料水へのアクセスのない人がやはり12億と言われています。15歳以上の非識字者が9億人、15歳以下で小学校教育を受けられない子どもが1億人です。貧困の除去は何にも増して国際的な大問題なのです。
 2000年の国連のミレニアム総会で、ミレニアム開発目標8項目(P.9参照)が採択されました。2015年までに貧困を大幅に削減することが目標です。このうち、UNESCOがかかわる教育関係は2項目。未就学児童をゼロにする、教育における男女格差を高等教育も含めゼロにすることが含まれています。私は日本の皆さんに是非「ミレニアム開発目標」を知っていただき、さらに言えば、この目標に向けて、政府レベル、市民社会レベルを含めた国際社会全体がしっかり協力しなければならないという認識を持っていただきたいと願っています。その点では、日本ユネスコ協会連盟の皆さんや日本の市民社会の方々が、例えば寺子屋運動という形で、貧しい国々に対して積極的に協力されていることを非常にうれしく思っております。
 2004年の4月にセネガルのダカールというところで「世界基礎教育会議」が開催され、そのフォローアップではUNESCOが中心的な役割を果たしています。そこでは6つの目標が採択(P.9参照)されており、すべての児童に初等教育を終了させる、非識字者数を絶対数で半分にする、教育の質を向上するなどが掲げられています。しかし例えば初等教育の100%達成には、親の協力が必要不可欠です。母親が非識字である状況では、子ども、とくに女の子を学校に送ることに抵抗を持たれてしまう。つまり初等教育の達成と、成人非識字者の半減は相互に関連しています。さらに教育の質の向上は日本をはじめとする先進国でも問題となっており、UNESCOが果たすべき役割は大きいものがあります。 

3 地球的な規模での環境対策

 地球的な規模の環境に人類全体が問題意識を持ち、対応し始めたのは1992年のリオ会議以降と言えるでしょう。その10年後の2002年9月に南アフリカのヨハネスバーグで「持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD)」が開催され、環境を破壊していけばどこかで限界がくるので、持続的な(sustainable)開発と言う概念が非常に重要であるという認識が深まりました。これに関連して、UNESCOが非常に力を入れているのが、いかにして水を持続的に利用していくか、という問題です。とくに淡水の場合、20世紀に世界の人口は約3.5倍となり、一人当たりの淡水の消費量は7倍に増えました。21世紀、供給増加は見込めない一方で、人口の増加に伴う需要の増加は容易に予測されます。水の持続的な利用という概念の導入を、UNESCOが他の国連諸機関と協力して力を入れて提唱しています。
 そして、この「持続可能な開発(SD)」という新しい概念を、教育の場に反映させるということが非常に重要です。日本政府の提唱により、2005年から「持続可能な開発のための10年(UNDESD:United Nations Decade of Education for Sustainable Development)」が策定されました。UNESCOは主導機関として、ガイドラインを作成し今秋の国連総会に提出します。重要なことはこれをしっかりフォローアップし、各国で教育指針を作っていただき教育に反映させていくことです。

4 テロ対策

これは国際社会全体、国連システム全体でしっかり取り組むべき課題であると考えます。UNESCOは教育の次元でしっかり対応していくことが重要だと思っています。

5 文化の多様性

 UNESCOが文化を担当しているということもあり、私は、人類にとっての重要な課題として、文化の多様性を守っていくということを加えなければならないと確信しています。
急速なグローバリゼーションの反動として、世界全体で一時期は8000あったと言われている言語が現在6000に減り、このままでは最終的には400くらいに収斂してしまうのではないかといわれています。言語がひとつ消滅すると言うことは、言葉を中心とした文化が消滅するということです。しかし多様な文化を守ってこそ、文化間あるいは文化間の対話があるのだと思います。
 UNESCOがつくった文化関係の重要な条約が2つあります。皆さんもよくご存知の「世界遺産条約」です。また、世界の密輸の対象として武器、麻薬そして文化財がよくあげられますが、これを禁止したのがもうひとつの「文化財の不法輸出入禁止条約」で、動かすことのできる有形の文化財を対象としています。ただ、サハラ以南のアフリカでは無形の文化遺産―具体的に言えば、伝統的な踊りや歌、儀式などの方がはるかに重要です。そこで、私がイニシアティブをとり、昨年「無形文化遺産の保護に関する条約(無形遺産条約)」がようやく採択されました。日本は条約採択を含め批准も率先しましたが、30カ国の批准をもって発効するには1年〜1年半はかかると思われます。これからは有形と無形の2本立てで考えなければならないとも思っています。
 UNESCOは教育、文化、科学、コミュニケーションという所掌分野のすべてを通じてこの5つの課題の達成に対応しなければなりません。政府間の機構であるUNESCOの強みは、単に政府間の協力を推進するだけでなく、市民社会の協力も推進するというもうひとつ大きな役割を担っていることです。市民社会の活動が活発な米国も、昨年UNESCOに復帰しました。世界全体でおよそ6000ある民間レベルのユネスコクラブや協会の中でも一番活発な日本に、これらの5つの課題に民間レベルでしっかりと協力していただければ、大変うれしいと思っております。

松浦晃一郎氏の略歴

○学歴

1956年〜59年東京大学(法学部)
1959年〜61年米国ハヴァフォード大学より学士(経済学)
1997年リヨン第三大学より名誉博士号授与

○略歴

1937年9月29日生まれ
1959年 4月外務省入省
1961年〜63年在ガーナ日本国大使館3等書記官
1968年〜72年在OECD日本政府代表部1等書記官
1977年〜80年在米大使館参事官
1985年10月在香港総領事
1988年7月経済協力局長
1990年1月北米局長
1992年1月外務審議官及びG7サミット・シェルパ
1994年7月特命全権大使フランス国駐箚
12月兼ねてジブティ国駐箚
1996年7月兼ねてアンドラ国駐箚
国際文化協力担当大使
1998年11月中部学術高等研究所客員教授
12月世界遺産委員会議長
(社)日本ユネスコ協会連盟顧問

○外国語

英語、仏語、西語

○著書

1990年 「援助外交の最前線で考えたこと」
1992年 「歴史としての日米関係・日米同盟の成功」
1993年 「Focusing on the Future/Japan's Global Role in a Changing World」
1994年 「先進国サミット・歴史と展望」
1995年 「Development et Perspectives des Relations entre le Japon et la France」
1998年 「The Japanese Diplomacy at the Dawn of 21st Century」

○受勲

1993年 Bintang Jasa Hama(インドネシア)
1994年Grand Officier de l'Ordre National du Merite(フランス)
1997年Commandeur de l'Ordre National du 27 juin(ジブティ)

[ プロファイル ]

○平和への信念

松浦氏は戦後の苦い経験と40年近い外交官生活をふまえて、「文化こそが平和への鍵を握る」、「世界中の異なる民族、宗教が共存しつつ、同時に人類の普遍性を追求していく共同作業が最も重要」と確信を持って語る。

○開発問題に対する強い思い入れ

経済協力局長時代(1988〜90)、日本の政府開発援助(ODA)の対象に新たに教育分野を加え、開発途上国の「人造り」支援に務めた。
また外交官としての最初の赴任国が西アフリカのガーナ(1961〜63)であったこともあり、アフリカの開発問題に関心が深く、外務審議官時代には「アフリカ開発会議(TICADI)」のとりまとめ役を果たすなど、アフリカの経済協力を全般的に推進してきた。

○文化への深い関心と理解

氏はかねてから文化面での援助・協力を主張しており、これは88年に発表された日本の国際協力構想の3本柱(平和のための協力、ODAの拡充、文化交流)に結実した。また西アフリカ文化に興味をもちつつ、現在は駐仏大使として97年「パリ日本文化会館」の開館及び「フランスにおける日本年」、98年「日本におけるフランス年」の開催に情熱を注いでいる。北米局長時代に設立に携わった「安部基金」も日米の相互理解に重要な役割を果たしている。ユネスコ関係では、98年12月京都で開催された「世界遺産委員会」の議長をつとめる他、ユネスコ諸会議への参加を通じて、ユネスコ事業に積極的に参加している。

○リーダーシップ

89年DAC上級会合に首席代表として出席。その際、G7サミットのシェルパを務め、 93年の東京サミットでは「開発問題に対する新しい対応」との総合的アプローチを提唱し採択された。また、89年のアルシュ・サミットでは日本の環境分野に対する支援拡大3年計画(開発途上国に対する3千億円の経済協力)をまとめた他、92年リオの「地球サミット」では日本の総括責任者としてとりまとめを行った。外務省総務課長時代は、同省の抜本的機構改革をすすめ、外務審議官に就任後は国際情勢に対応した外交体制の重点的な整備強化を実現させた。(外務省)

[ 歴代のユネスコ事務局長 ]

事務局長名出身国在任期間
1.ジュリアン・ハックスレーイギリス1946.12〜1948.12
2.ハイメ・トレス・ボデーメキシコ1948.12〜1952.12
3.ルーサー・エバンズアメリカ 1953.7〜1958.12
4.ビトリーノ・ベロネーゼイタリア1958.12〜1961.11
5.ルネ・マウフランス1962.11〜1974.11
6.アマドゥー・マハタール・ムボウセネガル1974.11〜1987.11
7.フェデリコ・マヨール・サラゴサスペイン1987.11〜1999.11

1952.12〜1953.7は、アメリカのジョン・テイラーが、1961.11〜1962.11は、フランスのルネ・マウが事務局長代理を努めた。

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